
ご無沙汰しておりました。
手を消毒しないとハナクソひとつもほじれないなんて
全くセチガナイ世の中になっちまったもんだぜ POISON(赤ちゃんにっこり)
春になり、外にやたらと行きたがるボンちゃんが、毎日のように年貢(ネズミ)をくわえて帰ってくるのですが、そのネズミを見てもピクリとも反応しなくなってしまった老婆猫ギンちゃんに対して、ムラが明るく、そして軽妙に言い放つ。
ギンちゃんはもう猫としては終わりだね!
その軽妙で明るく、かつ全く温度を感じさせない言葉が、スコーンと曇天と地面の間を貫いて行った ここ平沢でございやす。
ムラとはこの「ちゃんちゃんこおばさん」のことなのでございやす。
「昭和36年 屯田の実家にて」
押し入れで眠っているアルバムの中の一枚。上のようなタイトルの下に貼られているような。昔はあたりまえだったその手書きの文字。この字は誰だろう? これ、おかあさんの若いころだよ、おかあさん、わかーい!あーこれ死んだミーちゃんだ! あの猫、結局最後は居なくなっちゃったもんねぇ。やっぱり猫は自分の屍体を見られたくなくて消えてくってほんとかねぇ。。。
などと言われがちな類の、まだ世の中にたくさんの笑顔とぬくもりがあった、そんな時代の日常を切り取った1コマなのではなく、もうバッキバキの2022年 令和四年 4500dpi直下の日本の1コマなのでございやす。
ガッデム!(なんでやねん)
ちゃんちゃんこおばさんには、これブログには載せないでよ、とは言われていたのですが、舌ぺろして載せちゃいました。全く問題ないと思うから。ましてや今年のギャルソン(語尾あげ↑)ちゃんちゃんこと銀河の融合がテーマらしいよ。僕の渾身のジョークも彼女の耳には届いてません。なぜなら僕の言うことは何も聞いていないから。
アーイ!
ポケットにはスマホが。彼女、PayPayでさきほどおしゃれ長靴をポチりしてました。何マンもする高いやつです。ホーマックで買えばいいのに。。。それもあたかも当然のように。しかしそれは当然ではなく、昭和生まれの自分にとって未だ感嘆に値すること。物がポチりで来るなんて POISON。そうなのです。彼女はちゃんちゃんこを着た未来人なのです。実は。高速道路でもなく、大規模開発でもなく、大規模レジャー施設、道の駅でもなく、インターネットが田舎に未来を引き込んだ、ルネッサンスをもたらした。と後になって言われようとも、最初に言い出したのはこのわたしです。
このへんで、冗談はサクライマザファッキンヨシコさんとして、みなさんあらためてお久しぶりでした。
当地、ここ富良野特に山間部のここらはまだまだ雪があります。今年雪が多かったな。一週間ずっと降ったことがあって、あんなに降り続いたことっていままでで初めてかも。ブログを冬の間も書いていれば結構色々書くことあったんだけどね。ま、個人的には今までで一番短く感じた「ヒトフユ」でございやした。
AZA平沢の今と言えばこんな感じ。この一枚で全て説明できます。

向こう側に見えるあの靴。ホーマックで3980円だったやつ(笑)あの靴だとちょっと暑い。しかし夏靴(こういう言い方って多分北国だけだよね?)だとサミー。おまけに下はどこもドロドロ。だけど長靴ってあんま好きじゃないんだよなー、全くもって履くものに困るのが今。の感じ出てます。
靴がドロドロなのがお分かりであろうか?
ストーブ。まだ当然のように毎日つけてます。ゴールデンウィークあたりまで。だけどもうガン焚はしない。ストーブの蓋が開いてるのは何故か。これストーブの温度が低いのと外気温が高いのでドラフトしずらいんです。
あーこれドラフトしてないね。
この画像を見て一発で言い放つことのできたあなた。メールください。今度一杯やりましょう(ウソ。メールするな)
焚き付けにしていた小枝もすっかりなくなってしまって、だけど薪を細かく割いて焚き付け作るのも、もういまさらめんどくさい。なんとかこのまま暖かくなるまで粘りたい。てっきとうにそこらのゴミ片っ端から燃やして、やっと薪に火がついて。かなりブスブスいいながら。
だけど、そんなくすぶりようでも、朝に何本か焚けば、日中はその余熱だけで、寒いと感じることはない。ちょっとポータブル石油ストーブを省エネモードで補助すると完全にジャスト。
ぐらいがここの今の温度。の感じ出てます。
にしても、こないだ動画で見たんですが、ポータブルガスバーナーで薪ストーブに火を付けてる人が居てさ、なるほど!そういうこともできるよなぁって思ったよ。もう時代が4500dpiだからさ、なんでもアリだよ。
なんでもアリつーか、なんでもナシつーか。
また自分のことで恐縮ですが(笑)歳とったせいないなのかな?「これはもうないわ〜」って思えるもの。結構ハッキリしてきた。古臭いものはもう我慢できないくらい古臭く見えちゃうし、かなり漠然としてるけど、頭の中で、閉じていくニュアンスなもの、築き上げていくニュアンスなもの、それに対して、解放していくニュアンスのもの、解体していくニュアンスのもの、のコントラストが明確に分かれてきた。何言ってるか分からんと思いますが(笑)
簡単に言うとマッチョイズムとかさ、古臭く感じてもう生理的にダメ。自分を盛ってくベクトルのもの。モリつーか、ザルください的な。あと、ほんといまさらだけど、この国の政治な(笑)古臭く過ぎて、うんぽろすぴょん(お手上げの意)政治つーかさ、おじさんが古いのよ。言うなれば黒のエルグランド。言うなれば焼肉屋で切られるカラ領収書。なんの恨みなく言うけどおじさんが世の中でいま一番古い、ついてこれてない。
おい!まさに俺じゃん!(爆笑)そうよ、だから俺もつくづく自分が古いと感じるよ。死にてーよ。
死なんけど(笑)
じゃ、おじさんって何?って問われれば、「自分を説明する時に、自分自身ではなくて、自分の横に積まれている築いてきた何かを自信満々に指さす人々」だと思っていて。
それはあなたのやってきたことです。そうではなくてあなたは何ですか?
わしはわしじゃ!と言って自分の胸あたりをポンポンとやるかもしれない。
あなたは胸なのですか?いや違う。ではあなたは肉なのですか?細胞なのですか?タンパク質なのですか?アミノ酸なのですか?どこまで剥いても自分なんか出てきやしない。じゃ脳なのですか?一年もしたらその脳の細胞でさえ全て入れ替わってますけど。
はたまた例の魂とやらなのですか?
例えばモトクロスマシーンを新車で買っても、三年もすると、消耗部品交換しまくって、もう最初にあった部分ってなくなっていくのね。一体俺は何を買ったんだ?(笑)今ついているパーツもまたどこかに消えていく。のだが、マシーンという形は維持される。諸行無常(笑)つまりモトクロスマシーンの実態を指し示すことはできないのだが、モトクロスマシーンという状態はある。わたしの実態があるのではなく、わたしという状態があるだけなのである。状態のハイウェイ。
白目。
ま、こんなことをおじさんに言っても酷って話で、そもそも「私」を哲学的に説明できる人なんているわけがない(居たらごめんなさい)
つまり「私」なんて究極は幻想なのよ。
じゃあさ、「私」すらハッキリ正体が分からないのに、ましてや「国」って何なのよ? って話で。
これを見ているあなた、あなたの今視界に見える範囲、そこが日本と言われる国だと証明できますか?住民票やら戸籍謄本やら、なんでかんだを持ってきたとします。なるほど、でもそれは紙であってあなたではない。日本ではない。えっ?この土地?日本ってこの土のことなの?証明できないのに、ここが日本だと確信できるのは何故ですか?つまりあなたの日本はあなたの中にしかない。もしあなたが居ればの話だが。。。
完全に屁理屈なんだけどさ(笑)
なんか俺、そんな感覚になってきているよ、っておはなしでした。
だからさ、「私」すらわからん、ましてや「国」なんて。じゃ、「戦争」なんて一体何のためにっておはなしじゃん?「私」も「国」もあやふやなものなのに「痛み」「悲しみ」はリアルに存在する。
ここをよく考えてみたほうがいい。
仏教ではその「痛み」「悲しみ」すらあなたのものではない。と言っちゃうらしい。あなたなど居ないのだから。
ま、それはいいとして。
だからウクライナで今起こっていること。みんな思う。はず。戦争は最悪にクソ古臭い。ありえない。これにつきる。侵攻、撤退、防衛、そんな簡単な言葉、教科書の一行ではなくて、数えきれない単なる人殺しの積み重ね。それが戦争。右派の論客が、それ見たことかと、だから防衛というものが必要なのです、ケンカは勝たなければ意味がないのです、と言葉に力を増す。だけど、彼の言葉を抵抗なく受け入れられる者は多いであろうか?今やSNSによって戦争というものが、前近代的なクソ古臭く最低な単なる人殺しだと拡散されてしまった。
なるようにしかならんから 今を切に生きよ。
配達先の寺にこう書いてあったのね。うんうん、たしかにそうだよな、つて。これはけして諦めとはまた違うんだよ。まずはそのままを受け入れること。しかし後日行ったら言葉が変わってた。
コロナより怖いのは人間だった。
こっち、ふつー(笑)
初回早々ちんぽのおはなしばかりですいませんでした〜。ま、冬にこの本読んだ影響だな(笑)

