
20分時間が空いた。
俺は分刻みで動く男。20分あれば。。。。呑める。。。。完全に。
こういう時の俺の行動、その速さ光の如し。脳にその閃きが発火した1.9秒後、なんでもその速さは今年のF1鈴鹿におけるフェルスタッペンのシケイン通過タイムより速かったとか。普通の人間に見えるわけがあるまい。突如として人々の目の前から姿を消し店の中に出現。
入ってからわかったのだが、そこは「そばスタンド&BAR」という完全に「行き着くところまで行き着いた感」のある店だった。
流石の俺もかけそばと酎ハイという取り合わせには一瞬尻込みするものがあったのだが(意外にそういうことには細かい)そこは道産子。己の中には新しいものを節操なく受け入れる血が流れておるのだと信じて。
ええっと。かけそばと梅サワーとちくわ
うち、食券です〜
横の青年の前にはたぬきそばのようなグダクサンのそば。途中で食べることを放棄して、ちこちこすわすわ、ずっとスマホをいじっておる。ここが立ち食いそば屋であるならば、このガキ終わったならさっさとどけよ!こんなエモーショナルな動きもあったのであろうが、ここはBARでもあるからにして、まぁいいとしよう。
目に前には二人の老人。テーブルに載っているのはおのおの一杯ずつの生ビール。
ザッツイ。(that it)
喋ることに夢中で全く杯が進んでいない。
結局、夫婦が上手くやるにはかかぁ天下が一番いいんだ。
小池百合子はどうもこうもならんもな。(どうしようもない)
時折ジョッキに口をつけるが乾いた唇を湿らすのが目的のよう。渋いな。実に渋い!余裕というか。早く自分もああいう呑みかたができるようにな大人なりたいもんだ。
そういえば、子供も頃に父親から聞いた話。
ススキノで同僚と飲み歩いて決まって最後はベロンベロンになりながら焼肉屋に向かうらしい。焼肉を一応注文するのだが(これは推測だが当時深夜までやっている店がそこぐらいしかなかったのだろう)当然もう誰も肉なぞ口を通らない。
結局、コンロの上で肉を焦がして終わるんだよな。
肉を焦がして終わる? だと?
その話を聞いて当時の俺はそこに大人の持つ凄まじいほどの余裕を感じたのである。
あと牛には謝ってほしかった。
今、自分がその歳、いや越えているかも、深夜4時にコンロに載っているカルビを放置できるであろうか?いやできるであろうはずがない。ゲロ吐いてでも食うぐらいの心意気はまだある。あるというより火を通して持ち帰る。
父親とは完全に違う種類人間になったんだな。こないだもライブでウォッカ飲みすぎ、楽しくなっちゃって、気がついたらモッシュピットの中に居たぜ。
父さん。。。。僕はあなたのようにはなれませんでした。
目の前の老人達が流石に何かつまみでも頼まないのは悪いと思ったのか、メニューを要求した。その手つきはホテルのBARでボウイを呼ぶ手つきそのものであった。
昭和。
そんな言葉が浮かんだ同時に横の青年がどんぶりを抱えてヌルくなっておるであろうつゆをごくりと飲み始めた。
彼はまだ終わってなかったのだ。