
ここらは戦後開拓なんだよね。
じゃ開拓って具体的には何をするの?っていうと、ひたすら木を抜いて更地にするってこと。ここに来て、俺がびっくりしたことは数多くあるけれど、知らなかった度合いでかなり上位にランクされるのが、生木の重さなんだよね。木を輪切りにしたものを通称「ダルマ」って言うんだけど、直径50センチくらいで長さ30センチぐらいのダルマだと15キロ以上あるんじゃないかな?
一昨年、間伐材を大量に頂けた年があって「木は好きにもってっていいけど自分で全部降ろしなよ」ということだったので、トラックで10杯くらい自分達で降ろしてきたことがあった。あれはたぶん一本が四尺、120センチに切ってあったのかな。やっぱりすごく重くて、二人で半べそかきながら運んだんだけど、結果的にはあれでひとつたくましくなれたような気がする。だけどムラは「あれは本当に殺されるかと思った」と今だ思い出しては涙ぐんでた。そんなに苦しかったんだ、気づかないでごめん(笑)
切ってあるものをトラックで運ぶのでさえそんな大変なのに、開拓って切るところからでしょ?そんで当然トラックなんてありませんよ。根っこ全部取り除くのだって大変だよ。すっげー地を張って伸びてるから。
今はだだっぴろい畑が広がってるけど、そうやって一本一本抜いたことを考えると、その作業の総ボリュームなんて想像も出来ないと同時に、こつこつやれば人って大概のことは出来るんだな〜って。昔の人はすげーな。
だけど俺も同じ人間だ。と思いたい。つか、最近ちょっと思えてきた。
そんな生活は当然ほぼ完全に自給自足だったらしい。エクストリーム級の僻地なもので、自給自足せざる得なかったんだろうね。食料はもちろん、わらじとかさ、衣類も。そうそう!昔の人は手袋や靴下も自分で毛糸で編んでたんだよね〜偉いよね〜!
って違うよ(笑)
その毛糸から作るんだよ!そのために羊を飼ってたんだってさ。すさまじくね?(笑)鶏は玉子を産んでもらって産まなくなったら絞めて食って、ブタも食うために飼ってたって言ってたな、あと馬は今のトラクターのようなものだからさ、名前は絶対に付けなかったって。それは馬に限らず。最終的には大体食っちゃうわけだから。ちなみにそういう動物と一線を引く感じって今もなんとなくある感じがするな。うちらの猫や犬の飼い方と違うんだよね。いい意味でも悪い意味でもネコっかわいがりしない。
山の中で動物と暮らす。
それが最近じゃあんま聴かなくなったけど、今で言うところの「スローライフ」と呼ばれるものだったかと言うと、全然違うどころか、たぶんその真逆だったんじゃないかと思う。ま、俺は「スローライフ」って言葉自体が大嫌いだからっつーのもあるけど。え?だって、なんかすごく本当じゃない気がするから。お金持ちのおままごとって感じで。ちなみに最近だと「ミニマリスト」って言葉も嫌い(笑)そんなくだらないこといちいちてめーのアイデンティティにすんなよ、つーさ(笑)さらっとやれよそんなことは。おっと、また言い過ぎた(笑)でも、それ言ったらさ、アムちゃんなんて20年も前からミニマリストだよ。まーそのはなしはまた今度。
田舎暮らし、つーか、なるべく自分で何でもやろうと思ったら、夏には夏のことだけやればいいんじゃなくて、秋の準備、冬の準備をしなければならないんだよね。へたしたら来年のことまで。準備と合わせて当然片付けがあるわけじゃん? その長いスパンのものと日々のスパンのものがあるわけでしょ?たぶん頭の中にタイムラインが10本以上あったと思うよ。一年365日、ぼ〜っとできる時間なんて45秒くらいしかなかったと思う(何を根拠に)今よりもっと寒かっただろうしさ。断熱材なんかないんだよ。マイナス30度の世界と隔てるものが板きれ一枚だなんてタフじゃなければ生きられません。
そうなんだけどさ。
それが実はすごく気持ちいい暮らしだったんじゃないかって勝手ながら想像してしまうわけ。禅寺の修行でとにかく目の前のことをとにかく身体を動かしてやり続けるってのがあって。草むしりでも、掃除でもひたすらそれに集中してやる。何も考えないでやる。その時代の暮らしって、もしかしてナチュラルにその修行をしていた可能性があるんじゃないかと。もうできることをやるだけ、そして、自然には逆らわない。つーか逆らえない。雨が降ろうが、雪が降ろうが、しょうがないものとして諦めるという心境、境地。
「口動かすより手動かせ」ってそういう空気、まだここには脈々とあるな。
そうするとどういうことが起きるかと言うと、悩みとか不安とかさ、そういう類いのものに付け入られる隙がなくなっちゃうんだよ。俺わかる(何故)。悩みとか不安って実は自分の頭の中で作ってる実態のないものだからさ、その創作時間を無くしてしまうわけ。常に身体動かし続けて、一体の動物としてしぶとく生き延びる、命を繋げる、しのぐ、それだけで精一杯、毎日くたくたに働いておまんま食って酒のんでかかあとちょめちょめしてそれで一日終わりだ。それ以上何も考えられんべさっていう。
それに対して。
今の社会は、時間、スピード、汝おのれをクリックせよ、ナノセコンド刻みで追われている暮らしているように見えて、実は逆で、昔と比べて、相対的にみんな暇過ぎてるんじゃないかと思うわけで。終電で帰って6時に出社しているような人は気を悪くしないで欲しいんだけれど。悩みや不安というのはある程度の余裕の産物というか、悩む余裕がある、不安になれる時間がある、という、ある意味形を変えた贅沢という面あるんじゃないかなぁ?だからこんなにも今は悩みを抱えている人が多いんじゃないかなぁ?えっ?悩んでない?そっか、俺の思い過ごしか! 失礼しました〜(笑)
「じゃ、占領下にある人の悩みは暇だからなんですか?」
「ハンデと懸命に戦っている人の不安は贅沢なんですか? 坂川さん、あなたはひどすぎます!」
ここを読んでいる方は質のいいキチガイの皆様が多いからたぶんこんな勘違いはしないと思うんだけど、そういうことが言いたいんじゃなくて、あくまでも昔と比べての相対的な話がしたいだけで。でも、悩みでもどっぷり浸かっちゃうとアレだけど、もしかして私、贅沢な可能性も?と考えると少し気が楽になったり、しないですよね、これまたごめんなさい。
とにかく、ほんと最近、わけのわからない事件とか多いじゃん。殺したいから殺した恨みはないとかさ、意味の全然わからないクレーマーとかさ。どうしてなんだろ?って考えた時にさ「結局こいつら相当暇だったんだな」って思うと、割に全部腑に落ちることに気づいて。
どんどん便利になって、昔は糸から作ったものが今は100均で買える時代じゃん?こんな僻地だって今じゃ雪が降ればちゃんと除雪車がそれこそ毎朝のように来てくれるしさ。いいだけ便利になって余った時間を、もうみんな持て余してると思うんだよね。こんなブログだって暇だからやってるわけだし、ツイッターだってしかり、それで炎上なんてさ、もうある意味、贅沢の極みだよ(笑)
生きるってことでお腹一杯にしていた昔に比べたら、今の俺らの生活の主たるものって間食みたいなものでしょ。ほんとは食べなくてもいいどうでもいいものが主になっちゃってるわけで。
そして、これからもっともっと便利になるわけじゃん?車だって運転しなくてよくなるわけでしょ?増々暇になるわけじゃん?そうするとどうなるかと言うと、増々不安や悩み、いやいや、不安になれる時間、悩める時間、と言ったらいいのか、そういうものが増えていくと俺は予想するわけですよ。
贅沢やなぁ〜。
だからさ、これ以上悩みたくなかったら、あんまりこれ以上暇にならない方がいいと思うの。便利はここまでって線を引くとかさ。ま、そんなの絶対に無理だわな(笑)だったらみんなもうちょっと自分達が実は時間を持て余していたってことに気づいて、それに向き合った方がいいと思うの。俺だって忙しい時あるけど、それだってさ、暇だから忙しくできるんだよ。言ってること伝わってるでしょ?あれ?伝わってない?(笑)
ま、そんなわけで、最終的には毎度何が本題かわからなくなりましたが、暇っつーことで、最後はこの曲。これも今聴くと「おまえら、そんなこと唄ってるヒマあったら、こっちきて草むしり手伝えや」っつーことなんだけど(笑)暇に関してすごく健全な気はする。流石スチャダラは早いな〜。今の社会の問題の種を予見した強烈な一曲(笑)