
教室の片隅に石膏像。
その周りにはぱらぱらとイーゼルと真っ白なキャンパス。
最初に入った者が、これはデッサンの授業なんだと<思い込んだ>
後から入ったものはなおさらのこと。
隣の奴が書いているから、これはデッサンの授業なんだと。
みんなが書いているからこれはデッサンの授業なんだと。
みんなまじめにデッサンを書き出した。がんがんと書き出した。
当然、上手く書こうとしても出てくる出来の優劣。
○○くんの書くマチスは何か品があるよね。とか。
○○○の2Hの使い方、石膏のマテリアル感、ヤベー!
○○○、おまえ炭で出来てるマチス書いてるのかよw
とか、やっちゃってるわけ。
そこに教師風の男が登場。
えっ?(驚いた様子で)
石膏像はたまたま置いてあっただけで、
別にデッサン書いて欲しいなんて一言も言ってないんですけど〜。(語尾上げ↑)
そんな口調の教師も今は本当に存在するとか。否かが別として。
デッサンじゃなくて、油絵でもよかったんですけど〜。(↑)
油絵じゃなくて抽象画でもよかったんですけど〜。(↑)
つうか、ね? 写真のコラージュでもよかったんですけど〜。(↑)
というより、ハナクソで点描でもよかったんですけど〜。(↑)
というより、もはや絵じゃなくてもよかったんですけど〜。(↑)
習字、いやいや作文書いちゃってもよかったんですけど〜。(↑)
というより、これ言っちゃおしまいなんだけど、
別に何も書いてくれなくてもよかったんですけど〜。俺、体育の教師なんで。
ズコ。
真っ白なキャンパスに何を描こうが、いや描くか否かから含めて全くの自由だった。
別に燃やして、暖をとってもよかったんだ。
じゃ、あのデッサンの時間はなんだったんだ?
誇らしい気持ちや、もやもやした劣等感、小さな差はなんだったんだ?
最初からくそどうでもよかったんだ。
っーはなし。
だけど、やっぱり後から入って来たものはデッサンを書き出す。
もう長きに渡って、人々はその<思い込み>をずっと繰り返している。
それが僕たちの今の現状なんだと思う。
++++北海道PLAINJAPふるさと通信員++++
posted by Admin at 03:55
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